「さて、今日のごはんは何にしようか」
1日の始まりに、私が必ず口にする言葉。
冷蔵庫を開け、入っている食材を見て、頭の中が動き出す。
「コレとコレを組み合わせれば、美味しくなるかもな」
「味付けは、ダシをきかせて、香り付けにしょうゆを入れるかな」
頭の中でシュミレーションが始まり、同時に材料を切りながら、料理が始まる。
せっかくごはんを食べるなら、私は美味しく食べたい。
材料を見て、これから美味しい料理ができることを思うと、ワクワクする。
そう、私は「食べること」と「作ること」をとても大切にしているのだ。
一方、パートナーのY氏は「食べること」にそこまで興味はない。
どちらかというと、「シンプルでいい派」だという。
「シンプルでいい派」ってなんだ?
初めて聞いたときは、意味がよくわからなかった。
「シンプルでいい派」とは、食材で栄養は取りたいが、素材をそのまま食べるとか、ただそのまま焼いただけとか、そうやって簡単に食べる派らしい。
時間をかけて、手間をかけて料理をしようとは思わないという。
一方、私は、美味しいものを食べるためなら手間をかけることを惜しまない。
というか、手間って何だ?
その時間さえも楽しいのだ。
私は、「食」で、美味しい感動やサプライズ、幸せな笑顔を感じたい。
だから、今日も楽しくごはんを作る。
いつからこんなにも、私は「食」にこだわるようになったのだろう。
思い返せば、私は、日々「食」を大切にしている母に育てられてきた。
「食べることは生きること。日々、本物を目にすること。口にすること」
それが母のモットーだった。
だしを取る時は、水の入った鍋の中に、昆布を浸す。
30分以上たったら、コンロの火をつけ、鍋が沸騰したら削った鰹節を入れる。
入れた鰹節を少し煮てから、昆布と鰹節を鍋から取り出す。
木の鰹節削り器で鰹節を削るのは、子ども達の仕事で。
私はたまに、爪と指を切った。
「毎日のごはんは大切なことだと思うの。外で何かあっても、家に帰ってきてごはんを食べることで心に安らぎが持てたり、満たされたり。毎日の食事って、とても大切なことよ」
そう言う母は、毎日のごはんも、おやつのマドレーヌも、誕生日やクリスマスのケーキも、
味噌も、ぬか漬けも、全て手作りだった。
ある日、幼い私がハンバーガーのCMを見て「マクドナルドを食べてみたい。お子様セットのやつ」と母に言った。
「これがハンバーガーよ」と黄色いお皿にのった大きなハンバーガーが出てきた。
形がちょっといびつで、どう見ても私が食べたいマクドナルドのハンバーガーとは違う。
「違うじゃんこれー」と言っても、「こっちのほうが美味しいのよ」と母は答えるだけ。
全て母の手作り。
食べてみると、うん美味しい。
美味しいんだけど、おもちゃは付いてないし、何か違う。
幼いながらに、なぜ母は欲しいものを与えてくれないのか。
なぜみんなが食べているものを、うちは食べさせてもらえないのか。
子どもの頃は、母の手作りの愛情を全く理解できなかった。
そんな私が、今や毎年大豆をコトコト煮て、大豆を潰し、自家製味噌を作っている。
素材を仕込んで、美味しくできるのが楽しくて。
今では、家で食べる味噌も梅干しもしょう油さえも自家製だ。
「本当、よくやるよね」 友人は、あきれ顔でそう言った。
ある年のお正月。母が亡くなる3か月前。
衰弱していた母はもう食べ物をほぼ何も受けつけない状態だった。
「何か食べられそうなものはない?」そう聞いた私に、
「手作り味噌が食べたい」母はそう一言つぶやいた。
「手作り味噌? 昔よく作ってくれたよね。作ったことないけど、作れるかなぁ。うーん。でも作ってみようか」私がそう言うと。
「自分で作ったお味噌を一度食べたらもうやめられないわよ」母は笑って言った。
数日後、大豆・麹・塩・味噌壺と全ての材料を揃え、見よう見まねで大豆を煮た。
アツアツに茹った大豆をザルに開け、人肌くらいの温度になってから、袋に入れて大豆をつぶす。
そこへ、塩と麹をまぜて作った「塩切り麹」をまぜる。
手で丸めた味噌玉を味噌壺の中に投げ入れ、空気が入らないよう、ギュッと上からしっかり押さえていく。
平らに整えたら、空気が触れないように和紙をのせ、重石をのせて味噌壺のフタをする。
「初めてだけど、手作り味噌を仕込んだよ。完成が楽しみ」と母にメールを送った。
数分後、「あら、お味噌作ったの。いつ完成かしら、食べられるのが楽しみね」と返信が来た。
「お味噌だから、完成は10か月後だよね。秋には食べられるよ」と返信した。
その後、いつまで待っても母からの返信はなかった。
それから、10ヶ月が経ち。始めての手作り味噌が完成した。
「手作り味噌が食べたい」そう言っていた母の元には
「お味噌が完成したよ」とお供えして。
家族皆で手作り味噌を食べた。
「久しぶりだね。この感じ!美味しい!!」
手作り味噌で作った味噌汁を、皆おかわりした。
「自分で作ったお味噌を一度食べたらもうやめられないわよ」
母が言っていた通りになった。
一度、本物の美味しさを知ってしまうと、やめられない。
母が遺してくれたもの。
日々大切にしたいこと。
愛の表現は、人それぞれ。
「食」で愛を表現する人もいれば、スキンシップで愛を表現する人もいる。
言葉で愛を表現する人もいれば、
絵を描いたり、モノを作ったり、創作することで愛を表現する人もいる。
プレゼントを買って、モノやお金で表現する人もいる。
人は、自分が大切にしていることで、誰かに愛情を表現しているのかもしれない。
「みんな愛に生きている」
そう思うと、1人1人がまた、おもしろく見えてくる。
written by raiscuret. Do natures.